つくづく思う、現代の社会では「断固たる決意」が必要なんだ。
でないと、操り人形みたいな「他人に作られた人生」を歩むことになる。
現実社会は誘惑に満ちている
この社会は誘惑に満ちている。
喧騒に満ちた渋谷の街を歩いているとつくづく思う。
華やかな広告
賑やかなBGM、客引きの声
甘美な香り
次から次へと、様々な誘惑が五感へこれでもかと訴えてくる。
目を瞑っても、イヤホンで音楽を聴いてみても逃れることはできない。
僕の意思にはお構いなく、皆揃ってこちらへおいでと手招きしている。
スマホ=サイバー世界を覗き見る「窓」
街を行く人は例外なく片手にスマホを握っている。
目の前にこんなにも鮮やかな世界が広がっているというのに、
なぜそんな小さな画面に夢中になるのか。
例えるなら、スマホは窓のようなもの。
無限に広がるサイバー世界を、小さな窓から覗き見できる。
そこには現実をはるかに超える膨大な情報が広がっており、
それらにいとも簡単にアクセスできる。
Twitterを眺めていると、リアルタイムで膨大な情報がタイムラインを流れて行く。
自らフォローしたはずなのに、どうでもいいツイートが大半を占めているのはなぜ?
今僕たちが見ている情報は、果たして自分で望んだものなのか?
自分の行動は自分の望んだ行動か?
結局、現実は誘惑だらけだし、スマホの画面を覗いてみてもそれは同じ事。
膨大な情報が絶えず提供されてくる。
人が無意識に処理できる情報量をはるかに超えており、
意識的な情報の取捨選択が必要不可欠になっている。
そのためには、
自分がどんな情報が必要なのか?
→自分はこうしたい、こうでありたい
という断固たる決意が必要なんだとつくづく感じる。
そうでないと、勝手に提供される甘美な情報に踊らされ、
これもいいな、あれもいいな
と、ふらついた足取りの人生を歩むことになる。
まっすぐ歩くための道しるべがないからだ。
他人に操られた人生を歩むことになってしまう。
断固たる決意が必要なんだ
自分の人生を歩むために、断固たる決意が必要なんだ。
僕はこうでありたい!という明確な人生のビジョンが必要。
そのために、まず毎日をちゃんと全力で生きよう。
構えてしまう話だけれど、必ずしも自分でゼロから考えた壮大な夢である必要はないと思っている。
社会を変えたい、という壮大な絵をゼロベースから描ける人はほんの一握り。
まずは自分の身近なところで
「僕は何に幸せを感じるか?」
を見つけることが良いと思う。
今やっている仕事、学校で勉強している内容に関して、
なりふり構わず真剣に考えて全力で取り組んでみる事。
斜に構えて保険をかけ、全力で取り組まない姿勢は周りに伝わるし、
何よりその経験から自分が何も得られない。
自分はなにに幸せを感じるかが見えてこない。
まずは自分の生活を見直すこと、ちゃんと全力で毎日に取り組むこと。
ここから自分の「断固たる決意」が固まってくるのではないかな。
まずは今日から、毎日を全力で生きようと思った。